とーちよの大相撲日記

令和元年7月31日、Yahoo!ブログから移転しました。

武蔵丸親方、相撲協会残留へ。 =南西線ブログ新聞

平成十五年九州場所限りで現役引退した、アメリカ・ハワイ州出身の元六十七代横綱武蔵丸親方(本名・武蔵丸光洋、三十七歳)が、元幕内・朝嵐の笹木淳二氏(六十五歳)が所有している年寄株「振分」を借り、襲名した。親方名は「振分光洋」となる。
笹木氏は昭和四十九年より、今年七月まで振分親方として高砂部屋(現師匠・元大関四代目朝潮)の部屋付き親方として所属、停年退職した。その後は東関部屋高見盛名跡を譲ったとする見方が多かったが、引き続き株は所有していたことが最近になって分かった。
武蔵丸氏は引退後、「元横綱は引退後五年間、引退時の四股名のまま協会に残れる」という規定を利用して相撲協会に残り、武蔵川部屋(現師匠・元五十七代横綱三重ノ海)の部屋付き親方として弟子の指導をしていた。期限が今年十一月の九州場所中に切れるため、年寄名跡の取得が必要となっていた。
武蔵丸氏は年寄振分の襲名を二十二日に協会から認められた。今後も武蔵川部屋の部屋付き親方として指導するか、振分部屋として独立するかの二択となった。また今回は借株であり、協会幹部となるには別の名跡(もしくは振分の名跡)を正式に取得することが必要となった。
これにより、現役名のまま元横綱五年、元大関三年の特権を使用して協会に残っている親方は平成二十一年に停年退職を迎える玉ノ井親方(元関脇・初代栃東)の息子で、玉ノ井部屋継承予定の元大関二代目栃東栃東親方(本名・志賀大祐)のみとなった。
相撲協会の空き名跡は「若藤」のみとなった。

■…新振分親方プロフィール…■
昭和四十六年五月二日、米国ハワイ生まれ。
平成元年春場所前に日本に来日、武蔵川部屋に入門。半年間のテスト期間を設けて秋場所初土俵となる。
平成三年名古屋場所新十両
平成三年九州場所に新入幕。
平成四年夏場所に新三役。
平成六年春場所大関昇進
平成八年一月に日本国に帰化
平成十一年名古屋場所横綱昇進、土俵入りは雲竜型(朝青龍と同じ)を選択。
平成十五年九州場所で引退、武蔵丸親方となる。
生涯成績 779勝294敗115休
幕内成績 706勝267敗115休
横綱成績 216勝67敗115休
優勝12回、殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞2回、金星0個(平幕時代に対横綱戦が1回も組まれなかった)